〈新発掘! 語りの巨人たち〉 開高健の声

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誰も来ない所、入ったことがない靴跡もない、指紋もついてない所へ入って行く。
それで大きな魚を一匹釣り上げると妙な心理がここで働いて、
ワクワクドキドキして針を外すのに手が震えるんですが、
ふっと後ろを振り返って「誰か見ててくれへんかったかなぁ」と
こうゆう倒錯心理があるんですけれども。
これがなかなか克服出来ないんですね。
猫みたいなものです。
猫はネズミや何かスズメを捕って必ず持って帰ってきますけど、
食べるのでもない、主人に見せたくて持って帰ってきて、
放り出したまんまでどっか遊びにいきますけど、
あれに似た心理がある。
「誰か見てへんかったかいなぁ」と。
で、見てなかったら何かちょっとつまんないような感じがする。
そうゆう心理があるんですが。



手垢にまみれた言葉というものをつかってはいけない。
それから使い古された言葉もつかってはいけない。
といってしかし、普遍性のある言葉も選び出さなければならない。
色々苦しんで、
お酒を少し、水を少し、
お酒を少し、水を少し、と毎晩考えるわけですね。
ある時、1968年ですがたまたまやっぱり最前線でしたけれども、魚釣りに行ったの、戦争しているところへ。
それで皆さんお笑いになる。私も自分でサイゴン出る時笑ったんで。
人が生きるの死ぬの殺し合いしている最中に魚釣りとは何事か、といってほっぺた張りとばされたら、素直に黙って右のほっぺた差し出して、「もう一つ張っておくんなはれ」と言おうと思って行ったんですが、現場へ行くとまったく逆で大歓迎。
それで水を持ってきて飲めと言ったり、村長が出てきてバナナくれたりね。
そっちの所じゃダメだからこっち行って釣れとかね。
エラい優しいんです。
一宿一飯の仁義を尽くしてくれるんです。