鴎外、漱石から川端、三島、向田邦子、開高健まで
24人の「舌」が選んだ、明治・大正・昭和の味。
ミシュランにも負けない、文と食の達人「御用達の名店」徹底ガイド。
森鴎外/夏目漱石/泉鏡花/永井荷風/斉藤茂吉/高村光太郎/谷崎潤一郎/岡本かの子/川端康成/林芙美子/坂口安吾/壇一雄/吉田健一/水上勉/池波正太郎/遠藤周作/隆慶一郎/吉行淳之介/三島由紀夫/武田百合子/山口瞳/吉村昭/向田邦子/開高健
文士24人「ご用達」の三ツ星料理店、名物料理案内。
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酒を飲んでいるとたいてい昔のことを思いだす。
昔のことを思いださずに酒を飲むというようなことはあり得ないね。
ということはダ、なつかしいか、にがいか、それは人によるとして、つまり弔辞を読んでいるということなんだよ。
みんな酒を飲むときはそれと知らずに弔辞を読んでいるのだよ。
作家にとって文体を変えるということはシャツを変えるようなことではなく、むしろ、皮膚を変える、といいたくなるような苦業である。
酒だろうと、香水だろうと、ハタまた文学であろうと、お粗末品すべてにつきまとうイヤらしさをよくよくおぼえておくのが上物を味得するもっともたしかな、狂いのない方法である。
日頃どれだけお粗末品をたしなんでいるかによってどれだけ上物の全域と真髄が察知できるかがキマる。
みなさまも今季からは志を一段エスカレートされ、釣った魚をどんどん逃がしてやって頂きたい。
魚の体力が回復するのを待ってやり、ゆらゆらと閃きつつ蒼暗の深遠へ去っていくその尾を見送ってやって頂きたい。
その見返りに日本海や太平洋があなたのものとなるのである。
「カイタカケン」
「カイタカケン」
二度ほど繰り返してから
「カイタ・カケン」
「書いた? 書けん!」
とれたての山菜にあるホロ苦さはまことに気品高いもので、だらけたり、ほころびたりした舌を一滴の清流のようにひきしめて洗ってくれる。
はしゃぐ童女の眼にあるような青く澄んだものと、辛酸をかいくぐってきた男の横顔にきざみこまれているもの、それが二つながらあるように思われる。
新しい御馳走の発見は人類の幸福にとって天体の発見以上のものである。
美食とは異物との衝突から発生する愕きを愉むことである。
食べるあとあとから形も痕もなく消化されてしまっていくらでも食べられ、そして眠くならないというのがほんとの御馳走というものではあるまいか。
文学作品も、ほんとの名作というものは、読後に爽快な無か、無そのものの充実をのこし、何も批評したくなくなる。
"越前"という字を見るたびに私は暗い空、暗い海、暗い雑木林を思いだす。
柔らかくて深い深雪に淡い陽が射し、雪片の燦めきとかげろうのたゆたいのなかで一点、二点、まさに灯がついたようにいきいきと、咲くというよりは閃めくようであったスイセンを思い出すのである。
私はどんなものでも食べる。
大阪生まれのせいだろうか。
食べることには目がない。
朝、目をさまして、まず考えることは、さて今日はどんなものに出会えるだろうかということである。
あれはどうだろう、これはどうだろう、熊掌燕巣、ふとんのなかで目をパチパチさせながら想像を走らせるときの楽しさったらない。
気品高く、ふくよか。奥深く、おとなっぽい。熟しきっている。
微妙にこだましている—そんな表現がすべて入っている。
それまで食べてたチョコレートとこれを比べると、マリリン・モンローとその骸骨くらいの違いがある。
驚く心がなかったら、旅の意味はほとんどないものね。
別種の文化に接することとは、驚くことなんだ。
驚く心、見る目を持ちなさい。
少年の心で、大人の財布で歩きなさい。
雄のカニは足を食べるが、雌のほうは甲羅の中身を食べる。
それはさながら海の宝石箱である。
丹念にほぐしていくと、赤くてモチモチしたのや、白くてベロベロしたのや、暗赤色の卵や、緑いろの "味噌" や、なおあれがあり、なおこれがある。
これをどんぶり鉢でやってごらんなさい。
モチモチやベロベロをひとくちやるたびに辛口をひとくちやるのである。
脆美、繊鋭、豊満、精緻。