【開高健を訪ねて】命日のお墓参り

開高健を訪ねて 命日のお墓参り

開高さんは、1989年(昭和64年・平成元年)の12月9日、午前11時57分、食道腫瘍に肺炎を併発、済生会中央病院で逝去、享年58歳でした。

病室で元気で楽しかった先生も11月20日過ぎから、体調が芳しくなくなり、読書もされなくなっていました。確か11月24日の午前11時頃に「メモとペンはあるか」とおっしゃって、私の手帳とペンを取って何か書かれたのです。これが開高先生の最後の文字になったのですが、中華料理の料理名だったのです。しかし、いつもの角張った文字が消えて、ゆがんで弱々しい文字に変っていました。わたしがこれを食べたいのですかと聞いたら、「やっちゃん、君が食べろ」と言われました。この日を境に病状は悪化し、12月9日永眠されました。

「もったいない恩人」岩切靖治(読売広告社)「一言半句の戦場」より

開高健お墓参り1

北鎌倉の駅からすぐ、円覚寺(えんがくじ)松嶺院で、夫人の牧羊子さん、娘の開高道子さんとともに眠っています。
ここには、俳優の佐田啓二さん、田中絹代さん、漫画家の清水崑さん、オウム事件の坂本弁護士など、多くの著名人のお墓があります。

開高健お墓参り2

墓地内は撮影をご遠慮下さい、とのことだったので写真は撮りませんでしたが、なんとも開高さんらしいお墓です。
お墓の写真はこちら 北鎌倉円覚寺にて で紹介されています、ご参考までに。

いつものように一緒に行った友人(開高さん大好きの27歳、女性)の感想文をどうぞ。

紅葉の最盛期を少しすぎた円覚寺に参拝した。今日は開高さんの命日。本当はご存命のうちにお会いしたかったけど。
北鎌倉の駅を降りて程なくの場所に寺はあった。銀杏やもみじの葉の色彩が枯れた雰囲気の寺と相まって美しい。平日にもかかわらず観光客や一眼レフを持ったお年寄りで賑わっていた。開高さんが眠るのは松嶺院。門をくぐり和盆栽と山野草の小道を抜けて少し登った高台に墓場はあって、開高さんのお墓は入口すぐの所だった。
きれいに区画整理されたよくある灰色の直方体の墓のなかで、開高さんのは柔らかい黄色の大きな平べったい自然石でちょっと目を引く。命日だからかいつもなのか、新鮮なお花が供えてあった。
開高さんへのお供えはウォッカとラッキーストライクのタバコ、あと夜な夜な作ったお弁当。
安らかに…とお祈りしながら、自分も穏やかな気持ちになった。
この寺は生前有名だった方の墓がたくさんあり、参拝者も多いよう。
また新緑の時期にでもゆっくりお参りしたい。

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このサイトについて

開高健(かいこうたけし)
1930年12月30日〜1989年12月9日
ベトナム、アラスカ、モンゴル・・・
世界を股にかけた行動する作家、開高健のあれやこれやを紹介するサイトです。
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