【ルポルタージュ】ずばり東京

開高健「ずばり東京」

近代化、国際化、急速な人口流入・・・。
1960年代前半、東京オリンピックに沸き立つ首都は日々、変容を遂げていった。
その一方で、いまだ残る戦後の混乱、急激な膨張に耐えられずに生じる歪みも内包していた。
開高健は、都内各所を隈無く巡り、素描し、混沌さなかの東京を描き上げる。
各章ごとに様々な文体を駆使するなど、実験的手法も取り入れた著者渾身のルポ。

1963年(昭和38年)10月〜1964年(昭和39年)11月まで[週刊朝日]に連載されたルポルタージュ。
タクシー運転手、屋台、競馬の予想屋、画商、葬儀屋、トルコ風呂、深夜喫茶、うたごえ、飯場、スリ、新宿駅、上野動物園、東京オリンピック、労災病院、駅の遺失物保管所・・・。
毎回「十四枚の原稿を書くのに、七十枚から九十枚に相当する事実を調べた」そうです。
この連載の終わった三週間後、ベトナムに旅立ちます。

こちらにも詳しい紹介があります→開高健記念館:「開高健『ずばり東京』」展

いまの日本の "マスコミ" とはハイエナとカラスとオオカミを乱交させてつくりあげた、つかまえようのない、悪臭みなぎる下等動物である。
おためごかしの感傷的ヒューマニズムと、個性のない紙芝居じみた美意識と、火事場泥棒の醜聞あさり、ナマケモノぐらいの大脳とミミズの貪慾をかきまぜてでっちあげた、わけのわからないなにものか儲かるものである。
正体はつかめないとしても、接したらたちまち顔をぬれ雑巾で逆撫でされたような気持ちになり自殺を考えたくなる、なにものかである。

スリは孤独な芸術家である。
その芸魂は彼らの指さきの閃光に似た運動に濃縮して語られ、なんの説明もいらない。
わずらわしい知性や、くどい感性などの影響は微塵もうけぬ。
彼らは一秒に一日を賭け、いっさいから自由である。
二十世紀の生活を支配するのが "群衆のなかの孤独" という感情であるとするならば、彼こそは孤独のなかの孤独者、しかも白熱的に充実した孤独者である。

古本屋歩きは釣りに似たところがある。
ヤマメを釣ろうか、フナを釣ろうかと目的をたてることなく歩いてはいても、たいてい、一歩店のなかへ入っただけで、なんとなくピンとくるものがある。
魚のいる、いないが、なんとなくわかるのである。

ずばり東京―開高健ルポルタージュ選集 (光文社文庫)

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このサイトについて

開高健(かいこうたけし)
1930年12月30日〜1989年12月9日
ベトナム、アラスカ、モンゴル・・・
世界を股にかけた行動する作家、開高健のあれやこれやを紹介するサイトです。
リンクはどこでもご自由に。

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