1960年代初め、大国は覇を競い東西冷戦構造を色濃くしていった。世界の火薬庫と化したイスラエル、600万人に及ぶユダヤ人を抹殺したアイヒマンに対する裁判、パリでのOAS(米州機構)反対デモと弾圧する権力の衝突、核実験を行ったソビエト・・・。
現場を訪れ、筆者が目のあたりにした「世界情勢」を鋭く描き出したルポ。
サルトルとのインタビューも収録。
半世紀近く前の作品にもかかわらず、内容がまったく古びていません。
行動する作家、開高健ならでは一冊。
声の狩人 開高健ルポルタージュ選集(光文社文庫)
いったい国家はいつになったら誇りと偏見を去って怪物でなくなり得るのか。
いつになったら軍縮があるのか。
すくなくともツバがとんでいるあいだ灰がとばないのなら、いつまでも会議をつづけているほうがいいというくらいのことしか言えない。
今夜も憂鬱がたちこめて眼がよく見えないようである。
血が冷えてどうしようもない。
以下、サルトルについて書いた一節。
この身なりかまわぬ、汚ならしくて、陽気な小男は、博識のために行方を失うということがなかった。
私は彼の小さな後ろ姿に・巷の哲学者・の印象をうけて見送った。
彼は、その前夜、バスチーユ広場の群衆の中にいた。
殺到する国警の棍棒の中で、逃げまどう群衆の一人として、短い足で外套をひきずりひきずり必死になって凍てついた舗石のうえを走りまわっていたのである。
あれほど広大で濃密で聡明な、また、ときほぐし難く錯綜した、思考の肉感の世界をペンで切りひらいておきながら、もっとも単純な正義への衝動を失っていない。
四方八方を完全に閉じられた、敗れることのわかりきった広場へ殴られにでかけている。
書斎で彼は、何度となく、あらゆる角度から、知識人の非行動性についての憎悪と焦燥と絶望を描いたが、自身は明晰なままでとどまっていられないのだ。
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